子供がダダをこねてるときふと考えること。

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鈴屋電気でございます。

今日は子育ての話です。

我が家は4歳の双子がいるのですが、小さな子供って本当に全力で遊んで、全力で泣いて全力で起こるので、一緒にいるとすごくエネルギーが必要ですよね。

股の間に頭をねじ込んでくる息子

早く出発しなきゃいけない時などにいつまでも悪ふざけをしている。

早く寝て欲しいと思っているときにいうまでも遊び続けている。

「これじゃない!」「やーだー!」とこの世の全てを否定し続ける

妻「アイスダンスみたい」 ※夜泣き対応中の僕

こういう子供の態度を受けたとき、心に余裕がある時なら良いのですが、心に余裕がないとどうしてもオコになってしまいます。(久しぶりにオコって言ったわ)

なるべくイライラの感情を出したくないので、「はてさて、どうしたものか」と一呼吸を置きます。(まるで他人事のように)

そこで僕はよく子供の頃の自分のことを思い出そうとします。

いつまでも大きな音をで泣き続けられていると、頭が痛くなってきますよね。耳が疲れるというか、「もう大きな声出すのやめてー」と思う。

例えばそんなに大したことがないのに(大人がそう思っているだけで、子供にとっては大変なことなのでしょうが)子供がずーっとずーっとずーーーっと泣き続けている時(継続感の強調の仕方よ)

そんな時、僕は子供のときの自分を思い出すのです。

僕も子供の頃こんな感じで泣いてたんだろうなーと。

記憶を掘り起こす。。

自分の古い感覚として、ずっと泣いていて、ふと何か別なことに興味をが映ったとき、「急に静かになったなぁ?」と思った記憶があります。

そして急に静かになったなぁと思ったところで、さっきの大きな音は自分の鳴き声だったんだと気づいたことがあります。不思議な記憶ですね。

多分静かになったと自分が言った時に、母親が「今まで大きな音はあなたの鳴き声だったんだよ」と笑いながら教えてくれたことがあるんだと思います。(そんな記憶がうっすらと)

そしてその後父親と母親で笑い合いながら、自分の泣き声が自分の声だと気づかないもんなんだね、面白いね

なんて話していた記憶があります。

その時の自分は確か、本当に嫌で嫌で辛くて泣いていたと言うよりかは、なんか大きな声を出すのが気持ちよかったような、そんな記憶もよみがえってきます。

いくら大声を出して泣いていても全く疲れないんですよね、子供の時って。

それどころか、「気持ちよく歌を歌ってる」みたいな感覚さえあった気がします。

大きな音を出せている自分すごいみたいな。

たぶん、ランナーズハイ的な気分だった気がする。(ランナーズハイになったことないから知らないけど)

そうやって、昔の記憶を呼び起こして、パパもこんなふうに泣いてた時があったなぁとか、口に出して言ってたりすると、結構冷静を保てたりする。

子供たちもいつかは泣き止みます(やまない雨は無い。濡れるの辛いけど)

子供がたくさん泣いてだだをこねるのもかわいいもの。遊んで遊んで、かまってかまって、と言ってくれるのも、今のうちだから、そのわがままも育児の楽しみとして楽しまないと!

と考えていた時期もあったのですが、これは結構後実論的な感じで、当事者の大ぐずり満載中にはあまり効果はありませんでした(現場はそんな余裕ないの)

子供の不可解な行動や、全く思い通りにならなすぎる時、親は深く考え、辛く思い、なぜだろうとパニックになってしまいますよね。

そんな時は、過去の自分を思い出してみる事はお勧めします。過去の自分でどうだったっけ?子供の頃ってどうだったっけ?あぁそういえば自分も泣いてた時あったなぁ。あの時は反射的に鳴き声を上げていただけだったなぁ。

みたいに、過去の記憶を思い返すことができれば、目の前のどうしようもない。育児の状況から少し1歩引いて考えることができます。

Q.そんな小さな子供の頃の記憶なんてほぼないのですが

A.僕も実際は曖昧ですけどね。へへ。

うろおぼえでも、想像上でも良いのです。

経営も育児も深刻になりすぎないこと。

真剣に取り組むけど、深刻にはなりすぎない。。

自分に言い聞かせてます!